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やっぱり何か変
緩和ケア病棟に入ってから、舅が以前のように調子がよさそうにしている
姿を見ることがなくなった。
動きたくても動けない・・・・そんな状態。
舅を見舞う度に状態が悪化していってるのがわかる。

今日も顔を出した時に、全身の力が急に抜けてしまって怯えていた舅がいた。
子供が言う
「おじいちゃんは、もう歩けないの?」

そう。もう自力で起き上がり、立って歩く事もできないような状態だ。
息はとても苦しそうで、本人の口からも「苦しい」という言葉が出る・・・

そんな中、姑は、痛い箇所をさすったりするのだが・・・

舅が姑に「今夜はここに泊まるように」と言ったらしい。
身体の調子が不安定である事、力が急に抜けてしまったことで
本人もよほど不安なのだろう。

私達は家に帰り、夕飯の段になって姑が帰って来た。
何か物を取りにきたのかしら・・・・と思っていた時の一言

「今日は何も準備していないから、明日泊まるわねとお父さんに言ったら、
今日の夜何かあったらどうするんだってお父さんが言いうから、今日は泊まるわね」

・・・・

ちょっと不思議だった。準備してないからとか、もう、そういう
問題ではないのではないだろうかと・・・
この段になっても、まだ姑には危機感ってないんだろうかと。
確かに看護婦さんが常時いる体制をとっているし、姑が日中つきそっている。
しかし、人間って暗闇に一人置かれた時に一番恐怖を感じるものなんじゃないだろうか。
まして、日に日に弱っていく体の上に急に力が抜けて、
あっちの世界に行きかけたような感覚になったら、なおさらの事だから・・・
そういうところをもっと汲んであげれたら、舅の気持ちも少しは
落ち着くのではないだろうかと思ったりした。

夜、病室に一人、痛みや苦痛が襲ってくるベッドの上で、
取り残されたようになる時間が、今の舅にとって一番怖い時間帯
なんだろう・・・

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テーマ:家庭内事情 - ジャンル:結婚・家庭生活

【 2006/10/22 21:42 】

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余命告知
くどいようだが、「がんばらない」第3章。余命告知について。
この本では余命告知を本人にすることの重要性が書かれていた。
自分の体のことは、本人自身が知っておかなければならないことであり、
余命告知と言う辛い告知でも、残された短い限りある時間の中で、その人が
その人らしく生きるために必要不可欠なものではないかと。

その本の中には、命があとわずかだからと知ってこその、行きたい場所や、
見たい風景、自分の骨を埋める場所や、中には、自分の葬式の写真まで選んでいた
患者さんもいた。
死という恐怖と向かい合いながらも、前向きに、自分の人生を色濃く生きようとする
姿勢が見てとれて、感銘を受けた。

余命告知については、実の母と話した事がある。実の母の両親は、両親とも癌をわずらった。
母の両親は、二人とも致命傷にはならず、手術でなんとかなったものの、
母には、自分も遺伝的に癌で亡くなるのではないかという心配がついてまわるようである。
なので、余命告知について話しかけた。
「もしも医者から、お母さんの余命を言い渡された時、お母さんは、その事実を知りたいか知りたくないか」と。
母は、「絶対に知りたくない」と言った。
薄々感じてはいても、言い渡されるのは絶対に嫌なのだと言う。
「迫ってくる死の重みに、耐える自信はないから。」母はそう言った。

逆に私は、自分の命があとわずかなら絶対に余命告知を受けたいほうである事を母に告げた。
「がんばらない」に書いてあるように、やりたいこと。行きたい場所。
可能な限り精一杯残りの人生を色濃く生きたいと思うから。
お世話になった人への感謝の気持ちを出来れば言葉で、できなければ
手紙でも伝えたいし、できることなら、沢山の人に会って、最後の話をしたい。

自分が入るお墓を見たり、お葬式の写真を選ぶことまでは考えつかなかったけれど、
生涯残る自分の写真を自分で選べるというのは、余命宣告を受けた者のだからこそ
の特権だと思う。
自分がもし、そうなったら、私もそうしようなどと本を読みながら思った。
(実際、そのような悠長なことではないだろうが、自分から切り出せば、
家族が気を使わずにすむだろうしね。)


嫁いだ先のReo家では、姑は、若いときに癌を患った経験があり、舅は、6年前くらいに
癌が見つかり、難しい場所で、完全に切除しきれぬまま、いつかは再発する覚悟で
進行を抑える状態だったにもかかわらず、その間5年、再発して余命宣告が出た場合の事は、
夫婦間で一切話されなかったらしい。
再発なんて不吉な事考えたくもないというのが本音だろうが、それは、家族想いなのでも
本人のことを思ってでもなく単なる現実逃避だと思う。
一度患ったからこそ
家族のためにも、本人のためにも、酷なように思えるこのような事を話し合って
おくべきだったんじゃなかろうかと私は思う。

だから、その時になって告知するかしないかで、オロオロになった。
義理弟が、告知は可哀相だから、やめたほうがいいと言っていた。
可哀相・・・・
時間は限られている。何も知らないで、いつも通りのんでんだらりんと生活を送る。
告知は本当に可哀相なのだろうか。
誰が可哀相?父が苦悩してしまうのを見る自分が辛くて可哀相?

「がんばらない」にも書いてあった。
「告知を隠すと、看ている家族が隠す事に疲れてしまう。」と。
本当にその通りだと思った。
確かに、受けた本人は、どんなにか辛いだろうし、怖いだろう。
荒れたり、苦しんだり・・・でも、辛くても家族にそれをバックアップしよう
という覚悟があれば、隠し事がないだけ、本人も家族も変な気遣いもなく
本音でぶつかる事ができると思う。

Reo家のように、本人だけが知らないでいると、最初の頃多少のイタズラには、目をつぶっていたが、
それをいいことにイタズラがエスカレートしていって、Reoが耐え切れなくなった頃、
本人が自分の病状に気付いて「最後くらい俺の好きにさせてくれ」と涙ながらに訴えた話を聞いても
「これまでも好き放題してきたのにこれ以上何を・・・」という感じにならずにすむ。

今まで大きな病気などしたこともなく、そのような話をする機会がなかったとしたら、
本人に告知するかどうかの決定権は、一番面倒を看るであろう者が覚悟を決めて
責任を持って決めるのが一番いいと思うし、どう転ぼうと、看ることの少ない外野は、
口出し無用で、看ている者と本人を無条件にバックアップしていくのがいいと思う。


とにもかくにも、もしもの時に、余命を本人に話すかどうかということは、
元気な内に一度は話しておくのがいいと思う。
告知して欲しい人に、本人の意思に関係なく可哀相だという理由で、
家族が勝手に話さないのこそ、本人があまりに可哀相過ぎるし、
告知して欲しくない人に、せまりくる死という物をまざまざと
見せ付ける事をしなくてすむだろうから。

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【 2006/05/26 16:09 】

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実家療養
GWも今日で終り。
3日から実家で過ごした。
どことなくホッとした感じではあったが、今ひとつ憂いが取れないままだった。
久々という事もあって、姉も呼んで、実の家族と姉兄との食事。
去年の夏は、尖っていた兄貴。
いつも夕飯時にはいなかったが、今回は、ずっと夕食を共にした。
兄が飛ばす皮肉交じりの軽快なギャグは、食卓に笑いを呼び
実の親子でそろって笑う。
なんだかいいなぁ~って。
こんな楽しい感覚は久しぶりだなぁと感じた。

姉や、母に普段の愚痴をこぼす。
私の体調が、最近あまりよくない事も含めて。
しかし、ダンナが一緒のこともあって、思うようには愚痴れなかった(T^T)
もっともっと、沢山、話したいことがあったんだけどな。

いろいろイベントを楽しんだけれど、どこか鬱っているような気分から
抜け出せない。
体調は幾分かよかったが、快調とまでは最後までいかなかった。
どことなくけだるさが残る。
実家家族がみんな、よくしてくれて嬉しかった。

実家療養のGWはあっという間に過ぎて、家路につく。
高速を下りた直後に、胃の痛みと、わけのない不安感、嫌悪感、
重圧感が襲ってくる。
絡み合った糸が、少しほぐれたそんな感じが、あっというまに
ガチガチに固まってしまったような感覚。
ここまでくると、本当に精神的に参っているんだなぁと思い知らされる。
帰ってきて、住居エリアは、さほどいじくった形跡はないようで、
ホッとはしたが、どことなくすっきりせず気分は、深い谷底へ沈んだまま・・・

現実世界へ引き戻された。そんな感覚だ。
体調も、すこしよくなりかけたと思われたが、出かける前の体調に
戻ってしまった。

このトンネルから、いつ抜け出すことができるのだろう・・・

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【 2006/05/07 20:56 】

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外を見よ
ここに書いてあるような事がたてつづけに起り、
どうにもこうにも我慢ができなくなって、だれそれ構わずに
リアルな世界で愚痴りまくっていた時期がある。
愚痴と怒りは、滞る事を知らず、堰を切ったように腹の底から
外の世界へと一気に流れ出していった。

お世話になた方々、あの時はありがとうございました。
(゜゜)(。。)ペコリ

愚痴を聞かされた人々の中に私の実の姉が含まれている(爆)
姉も 嫁 VS 舅・姑・小姑となんとも大勢を相手に6年間闘い
ついに身体を壊し、精神的にもボロボロになり、離婚をもいとわない
といった感じで、ダンナ様の両親とは、強制別居になった。
今は、多少波はあれども、頑張り屋で、頑なな信条と共に
以前よりは(爆)穏やかな生活を送っているようだ。

そんな姉に愚痴をこぼした時のこと
「そりゃ~ひどいね。私は(ダンナの)家を出た身で、
(嫌なところは)見なくてすむけど、Reoは同居続けてて、私とは違うもんね。
大変だと思うよ。でもね、私、あれだけ苦しんだけど、今勤めている
会社の上司にくらべれば、私のダンナ家の人々は、まだ普通の人に見える。
そんなもので、家の中にいると、その人しか見えなくて、不平不満も募るだろうけど、
外に出たら、案外、家の人は、普通だって思えるようなスゴイ人がいるかもしれない。
そうなれば日々の不満も少しは解消されるんじゃない?」
と言っていた。

なるほどね~。上には、上がいるっつ~ことで。
などと、ぼんやり納得していた。

さて、そこでReo。
子供達の夏休みが終わったのを期に本腰を入れて、パートの
お仕事さがしまして、今パートしてるんですけれども、
接客とか、そのような部類ではなく、黙々と作業しなければならない
お仕事なんですよね。
要は、あまり人間関係のもつれが見えにくいところに勤めたんですよ(爆)
(職場の人間関係もいろいろありますからねぇ~(^ー^;)
よって・・・外を見てみたが、不平不満が減らない(爆)

家の中での日々の不平不満を減らしたくて外を見る場合は、
現状を超えた不平不満がありそうな場所に身をおくようにしましょう・・・(=_=;


(それでいいのだろうか・・・(爆))

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【 2005/09/13 14:27 】

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鬼は家 福は外
洗濯物を干すためにベランダに出ると、目に映るこんな光景。

隣の家の足の悪いおばあちゃんが、ゴミ捨てに行こうとしているときに
「私が捨ててきてあげるわよ」とゴミ出しをとって替わる姑。
前の家のおじさんが、近所周りを掃除していると、
「いつも綺麗にしていただいてありがとうございます」と言う姑。

舅が入院し、姑が、まだ仕事を続けていた頃、「私、仕事しているから」
という理由で「お風呂掃除はお願いね」と私に言い放った姑。
舅に余命宣告がされた時に仕事をやめたが、当然替わるわけがなく。

舅の様態が落ち着いている事から、私はバイトを始めることにしたが、
私がいようがいまいが、おかまいなしで、相変わらず、
舅を一人残し、趣味に出かけたりする姑。
私が仕事を始めて、自分は趣味をしていても、掃除当番の変更はないらしい。
おそらく、譲っていただいたことなのだろう。
替わる気もないけどね。

職種を選ばず、家事にも、育児にも支障が出にくいと思われる
勤務地と時間のバイトを選んだつもりだからね。
「仕事をしてれば、偉いんだ」みたいな訳の分からない
価値観振りかざすようなこの家の価値観には染まりたくないんでね。

実家母や実姉のように、仕事におわれてても、家の事や、
子供の事をキチンとやる母親になりたいから。
まぁ、実家母や姉は、忍耐の人だから、ちょっと特別で真似できないけどね(^ー^;

仕事してるからなんだっていうの?
家事や育児を放棄する理由になるの?そんな仕事は、クソ食らえ!!
(まぁ、なんてはしたない(爆))
専業主婦を暇人扱いするくせに、仕事を理由に主婦業に手を抜くヤツは許せんね。
仕事が忙しくて主婦業がうまくいかないなら、
主婦業をしっかりこなしてる専業主婦をもっと敬うべきだと私は思う。


あ・・話はよこにそれましたが、
外では感謝の気持ちを表し、家では、譲って当たり前の
鬼は家、福は外のお話でした
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【 2005/09/07 22:07 】

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