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自由と放埓(ほうらつ)
自由と放埓というのは、似ているようで全然違う。

よく「家は自由にやってきたから」とか、「自由にさせている」とか
いう言葉を聞くが、そのほとんどが、「放埓」の意味であることが多い。

自由とは、それによって生じたいかなる事にも責任を持つ。その上で、
ある程度自分の好きにやるということであって、人に迷惑をかけ、
その上で出てきたトラブルや苦情などに責任をとることなく、あるいは、
責任逃れをなどをして好き放題やるというのは、放埓というそうだ。

ようは、同じ好き放題でも、責任を取るか取らないかという事の重さは
自由と放埓では全然違うということだろう。
起ったことに関して責任を取らないのであれば、自由ではないということだ。

よく子供のことに関して、責任をとれる年齢でもないのに、
ちゃんとした善悪のケジメも教えることなく、
「自由にさせている」というのは、ただの野放しと同じ。
姑などは、子育てにおいて放任主義だったときれいな言葉でまとめたりするが、
放任も、ある程度の分別や、責任能力がつかない段階でするとすれば、
野放しと同じだと思う。
言っていいこと、悪い事、やっていい事、悪い事。こんな最低限のマナーさえも
ほったらかしではねぇ・・・

そして・・・
「私は、自分のお金は、自分で使うの。遺産は残したりしないで、自分で自由に使う。」
という姑

それは、それで結構なことだと思いますよ~。
ただね、自分のために好き放題に使うだけつかったその後で、
老後の面倒は看てねというのは、どうかしらんと思います。

アリとキリギリスのお話で、放埓だったキリギリスさんは、好き放題やって最後は
どうなっちゃいましたかしらぁ。

自由と放埓。似ているようで全然違うもの。



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テーマ:呟き - ジャンル:結婚・家庭生活

【 2006/09/12 22:02 】

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永眠場所選び
永眠場所選び。すなわちこの世を去った後の自分の骨を
埋める場所選び・・すなわち墓地選びということについて。

このブログを読んでくださっている皆さんなら、どんな理由で、
どんな場所を選ぶでしょうか。
「○○家之墓」という風にお家柄、代々お骨を納める場所が
ほぼ決まっている場合は、ほぼその場所になることが確実であろうが、
Reo家のように、関東在住、本家は北陸という場合は、関東圏に
新たに造るということになる。

舅から、お墓のことについて妻である姑に話があったらしい。
「○○霊園にしたい」と。
私は、その場所には行った事はないのだが、後に続く者の事を
考えれば、家からさほど離れてはいないし、まぁ、
妥当なんじゃないかなと思っていたのだが、
その場所を選んだ理由を聞いて、ため息が出てしまった(=_=)


遠くにいる自分の親戚に

参りに来て欲しいから、

高速から近いその場所を選んだ
のだとか。


┐( -"-)┌ ヤレヤレ

どこまで行っても自分本位なのだね。
後に続いて、入るであろう者のことなど、微塵も頭にないらしい。
自分の親戚といえども、もうお年な方ばかり、はるばるやってきて
お参りしてくれるのは、ほんの何年かの間だけ。
その数年間のためだけに、その場所を選ぶのかぁ・・・
まぁ、妻である姑は、自分の弟に骨の埋める場所を
伝えておいてあって、最初から同じ場所に眠る気などないみたいだし、
永眠場所は、初代の希望の場所になるのだろうから、それはそれで
いいのでしょう。

その後に続く者が、入るか入らないかは別として。


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【 2006/07/07 15:37 】

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なっさけない!!の真意
「こそく」という言葉をご存知だろうか。
コソクと聞いてあまりいいイメージがわいてこないんだけど、
「コソクな考え」とか、「コソクな手段」とかよく使われますよね。

辞書で引いてみるとこうです。

姑息(こそく):一時の間に合わせだ。一時しのぎの。
                   角川国語辞典より


姑の息と書いてコソクと読むのかぁ・・・

ふ~ん。
へ~ぇ。
ほ~ぅ。
なるほどねぇ・・・・

・・・・・(=_=

ということで、本題に入ろう(笑)


姑の決めセリフに「なっさけない!!(情けない)」というのがある。
この言葉は、私を始め、他人に向けられる他、姑が自分自身に向けて
発する事もあるのだが・・・

他人に向けるときは、「なっさけない!!」と言葉を
矢のように尖らせて、めいっぱい引き弓を引いた上で放たれるので、
非常に威力があり、受けた方の心は、めいっぱい言葉が突き刺さり、
非常に痛い思いをするし、その傷の痛みは、後々まで響く事が多い。


これが、姑が自分自身に向けた時は、
「(こんなことくらいで)なさけない」と、涙をホロホロ流しながら
発せられる。
今まで幾度か経験したが、お涙頂戴のため、見ている方は、
結構同情なんかしたりするのだが、実は威力はきわめて弱く、
針をチクンと刺す程度の痛みでしかないことが、
観察の結果はっきりと分かった。

その証拠に、「(こんなことくらいで)なさけない」と、
涙をホロホロ流しながら発した30分後には、何事もなかったかのように
テレビ番組などを見ながら、ゲラゲラと大きな声で笑えてしまうのだ。

ようは・・・
姑の場合、なっさけない!!の言葉が本人自身に発せられた時は、
自分を責めたり追詰めたりしているわけではなく、
弱い自分をアピールするための姑息な手段ってことね・・・(-。-) ぼそっ



姑の息と書いてコソクね・・・

ふ~ん。
へ~ぇ。
ほ~ぅ。
なるほどねぇ・・・・



・・・・・(=_=


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【 2006/06/19 13:48 】

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報われない同居嫁
昨日に引き続き「がんばらない」中にあった痴呆症の姑の面倒を最後まで看た嫁の話。
徘徊などで、行方不明になった姑を何度も必死で探し回ったりして、疲れたお嫁さんが、
家中の鍵をかけ、姑と二人部屋の片隅にいた。
追詰められたお嫁さんの様子に白ヒゲ先生は、精神科のドクターに
ヘルプを出したこともあるとか。
度重なる気苦労のために胃潰瘍にまでなったのは、私の実の母と同じで、読みながら
オーバーラップしてやりきれない気持ちになった。
しかし、そこまで献身的に面倒を看ていても、小姑は冷たい。
痴呆の姑が、嫁に行った実の娘に「私は、ご飯を食べさせてもらえない」といったため、
嫁は、小姑からかなりキツイ嫌味を言われる。

私の実の祖母が痴呆症だったからわかるが、痴呆の老人は、おおよそまともな事を
言わないし、普通の人から見れば、不可解な行動をする。
彼らは、空想という宇宙空間の中で生きている。
年を取ると赤ちゃんに返るというが、私は、実際目にしてそうではないと思った。
赤ちゃんに返るのではない。宇宙へ帰還するための準備をしているかのようだった。
そんな者のいう事を、まともに受けていては、家で介護している人の恩を
仇で返すようなものだ。
本当にご飯を食べさせないような扱いをしているとすれば、体は痩せ細っているだろうし、
嫁の人柄がそういう人なら、そんな七面倒くさい事をせずに、姑の意思も関係なく
さっさとホームなり、その手の施設に預けている事だろう。
少し考えればわかること。それなのに、こういう口だけ偉そうに出す人は、
おおよそ介護という物に程遠い、絶対安全な場所から、介護をしている者に対して
このような口を出すというのがほとんどだと思う。

私の友人にも実の祖母の介護をしている人がいたが、いつも明るく元気だった彼女が、
げんなりとし、目の下にクマまで作って懸命に介護にあたっていたのに、一緒の散歩中、
ちょっと目を放したスキにおばあちゃんが転んでしまって、軽い怪我を負ったときも
「ついていながら、怪我をさせた」とおばあちゃんの姉妹たちがよって
たかって彼女を責めたと言う。
彼女は「もう、嫌だ。私が悪かったのかな・・」と泣きながら訴えていた。

せっかく献身的な介護をしていても、これでは、やる気をなくさせるどころか、
介護者の精神をも蝕んで、病気にしてしまうだろう。
やらないのではない。目の下にクマを作るほど精一杯やっているのに
責められるのだから。

懸命に介護をしていた私の実の母は、祖母が亡くなった後もいろいろ小姑達に言われたが、
その言葉がいかに人任せで無責任な言葉であるかは、私にはよくわかっていたし、
だから、姉妹で、小姑達に応戦した。

「がんばらない」の中のお嫁さんは、姑がなくなった場で、先生から「よくがんばって、ちゃんと最後までよく面倒を看たね。」とねぎらいの言葉をもらった。

友人は、友達に聞いてもらう事で、彼女がよくやっていること。言った人たちの
言葉が、他人任せな無責任な言動であったことを彼女なりに納得し、これからも
おばあちゃんを看続ける決意をしたようだった。

そんな風に理解者がいれば、介護にあたる同居嫁は、少しは報われるのかもしれない。
だがしかし、報われない同居嫁は、献身的な介護の中で、身体を壊し、精神を病み、
ボロボロになっていくんだろうなと思う。
絶対安全な外野席に座っている方たちの心無い言葉に傷つきながら。


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【 2006/05/22 21:23 】

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仕える?
同居する嫁において、時々耳にする言葉がある。
「何々家に仕える」とか、「おじいちゃんに仕えて」とか
「おばあちゃんに仕えて」とか。

今日、ふっと思った。
その「仕える」ってなんなのさと。

結婚して、その家に嫁に入る・・・
その内、同居している者だけが、その家に仕える・・・
「同居する結婚」=「その家の召使」あるいは、「その家の使用人になること」
なのか?

私は、この家の召使や、使用人になるために結婚したのではないぞ。
ましてや、ボランティアをするために、この家に入ったのでもないぞ。

仕えるために結婚するのではない。
誰しも、幸せになるために、幸せになりたくて結婚するのだ。
同居したら仕えなければならないなんて、絶対に変だって。


「家に仕える」、「ダンナの親に仕える」などという嫁の人権を放棄するような言葉は
この世から取っ払って欲しいものだ。


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【 2006/05/12 21:17 】

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